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neo-education

個人的な「教育観」を伝えていきたいと思います。

016 100万円の行方は…

政治 教育
巷では、「首相昭恵夫人」が百万円の寄付を渡したかどうか…について、
大変話題が盛り上がっているようでして…。(正直どうでもいい話!)
 
今日は、高校野球早実戦と、横綱稀勢の里」の一敗・負傷で、
週末の酒場は大変大盛り上がり…。(久々のテレビ三昧)
まっ、それが世間で言うところの「巷(ちまた)」なのでしょう…。
 
ちなみに、
この「巷(ちまた)」は「共(いっしょ)」と、
「已(人が伏せた姿)」を組み合わせて、
「村里の公共の通路を表した字」で、
その意味は「町や村の通路、世間」を表します。
 
で、余談ですが、
「受け取った」「受け取らない」は、
事実としての「証明」が非常に難しいと思われます。
 
基本、賄賂などは通常「現金」で渡されるわけで、
使う封筒は「差出人」や「宛名」「金額」などは一切記載がないのが通例。
包み紙は「茶封筒」で、ごくごく事務的・一般的なものを使用します。
 
「籠池氏」が「これが渡されたときに使用された封筒でございます」などと言って、
国会等に提出されてたとしても、
それが「本物かどうか」、検査のしようがありません。
常識的に考えれば、「時の権力者の指示に従って捜査」するのですから、
結果は「白」と出るに決まっています。(国家権力にはかないません。)
 
昭恵夫人の指紋が付いていた!」と、仮にそのような証拠が出たとしても、
相手方の言い分によっては、「それは別の用途に使用した」としてしまえば、
結局「水掛け論」が続くだけで、誰にとっても「意味不明」状態が続くだけです。
そんなことで国会で審議なんてされてたら、本当に税金の無駄使いです。
 
現在、「籠池氏」は「八方ふさがり」状態でしょう。
 
でも、私の性格は意外と「正義」とか「真理」・「倫理観」よりもむしろ、
判官贔屓(はんがんびいき)」とか「悪者歓迎」なんです。
(これをお読みのみなさん、本当にごめんなさい!)
 
でも、常に「悪ははびこる」わけだし、
(何時の世にも悪は絶えない…「by鬼平犯科帳より」)
 
その根源は、常に「時の権力者」からでしょ?。違いますか。
それを、「歴史」などでちゃんと学ばないと、人間としての学習能力の無さを、
我々皆が認識しないと、同じことの繰り返しです。
 
私がここで言いたい事は、「100万円の行方」で、
皆が、「受け取った」「受け取らない」で興味津々(きょうみしんしん)ですが、
想像力がまるでない。本当にどうでもいい!そんなこと!。(ふんだ!)
 
「100万円で何ができるか」を想像してもらいたいです。
(皆、大人なんだし…)
 
もちろん、100万円だけでは「私学新設」などできはしないのは承知できるわけで、
でも、100万円を元手にして、事業を興すことは誰でもできます。
 
つまり、
「籠池」という人物は、「お金の使い方」や「お金の集め方」に長けていて、
その点においては「手法」が多少間違っていたとはいえ、
ビジネスにおいては、基本中の基本をしっかり心得ていた。
とにかく「資本」(元手)がなければ、何も事業が始められない。
 
「政治家」を上手に利用して、民衆を「あっ」と驚かせ、
お金をじゃぶじゃぶ集めて、
私立学校を新設しようという「野心」が誰も見抜けなかった。
(じゃ、誰の責任だ?)
 
利用された政治家の「ガラスの後ろ盾」によって、
関係している役所が補助金の交付をするわ、
大阪府の私学申請の許可を「条件付き」でもらうわ、
本当に、「籠池氏」にとっての「ビジネス」は、
今年の1月くらいまでは何ら「障壁」がなかったことでしょう。
「土地の問題」さえ浮上しなければ…。
 
逆に、私にとっては「どんな小学校になっていたのか」を、
見てみたい気がします。(さぞかし、特徴的な学校でしょうね。)
 
でも校舎どうすんだ?
「原状復帰」で土地を返すのが原則だって?
「たてたでーくがけっそーだ!」
 
首相官邸サイド」の状況が一転するなり、
役人達や政治家たちが一枚岩となって、
皆が「知らぬ存ぜぬ…」とは…。
まあ、これも良くあるお話です。
 
日本人とは、本当に「常に怖い存在」なのです。
肝に銘じましょう。
 
2017/3/25

015 学校建学って…

政治 教育
今日、参議院衆議院で「証人喚問」が行われました。
森友学園」新設に伴う「土地取得問題」で、
理事長の「籠池泰典」氏の証言を、午後の衆議院TV 中継をLIVEで見ていました。
国会中継なんて、LIVEで見るのも久しぶりだな〜っ)
 
「証人」の証言に関して、事実関係は一切分かりませんから、
私からのコメントは控えます。(そもそも何の関わりもないし…)
 
第一印象だけお話しするとして、
どうして「お笑い番組」だと「おっさんの関西弁」は面白く聞こえてくるんだけど、
国会中継」だと”なんてうさん臭いんだ!”…。
(全く「国会中継」とは関係のない内容で、冒頭からどうもすみません!)
 
「籠池氏」の「建学の精神」はともかくとして、
この「少子化」の時代に「私学の小学校新設」をするんですよ!。
まずもって、その「お志(こころざし)」だけは、ご立派!、と、
率直に感じています。証言にあたっても「首相昭恵夫人」と争う姿勢のようですね。
今後がどうなるか、楽しみですが…。(つまんないよ!。税金の無駄だ!。)
 
ちなみに証人ご本人さまは、建学にあたり、
「このままの日本では…という危機感を感じて…」みたいなご発言でした。
本当だったら、本当にご立派です。私には真似できません。
 
他の一般人の印象ではきっと「籠池理事長は悪者だ!」とメディアの報道を通じて、
お感じになることでしょうけど、
「新しく学校を新設する」ことが、いかにハードルが高いのか、ということを、
この「証人喚問」でよくご理解できたのではないでしょうか。
 
「学校新設」に必要なのは、基本的に以下の項目です。
①「土地」
②「校舎」(=資本)
③「人材」(=労働力)
 
ん?…
 
なんかどっかで聞いたような経済学的な内容ですね〜。
まあ「資本主義」社会ですから、この国は…。要は「カネ・カネ・コネ!」です。
もちろん「建学精神(=教育方針)」「カリキュラム」「採用する教科書」
「定員」や「教職員採用予定者名簿」「校舎見取り図」
などなど、山ほど書類を出します。
 
まっ、基本「お役所仕事」ですから、「ルールどおりに条件が整っているよ!」、
という私学申請に必要な書類が形式上整えば、
役所は「GO」サインを出さざるを得ないシステムな訳なんですね〜。
 
民間会社の場合ですと、
例えば「支店」を開くにあたっては、
事前に「市場調査」しますよね〜?。(ま、マーケティングの世界では「常識論」)
 
「私学新設」をする場合なら、何を調査しましょうか。
例えば、私が思うに…
①学校に入学する生徒さんはどの程度いるのか、とか、
②近隣住民の需要はあるかないか、とか、
③教職員のスタッフについての経歴調査、ライバル校はetc…。
 
ちなみに役所は「書面主義」ですから、
とにかく役所が決めたルールに沿って、
きちんと書類さえ整えば、とりあえず「事前OK」が出ます。が…。
 
これは、あくまでも「書類による事前審査」なのです。
 
え?…。
 
実際は「3月末」の自治体の翌年度予算案が通過しないと、
「本決定」にはなりません。(補助金等の予算の絡みがありますので…)
 
「籠池」さんは、その辺りの「役所の掟(おきて)」を知らなかっただけです。
 
去年の4月に開校予定をしていたところに、
校舎の基礎工事の最中に「生活廃棄物」が大量に出てきた…。
「はて?どうすんだ!」怒り新党!。(さっそくテレ朝に電話だ!)
 
「元国有地」って案外「踏んだり蹴ったり」だったりして…。
(実際現場を知りませんから、私には分かりません。)
「公有地の取得」には、十分注意が必要ですね。
 
高いものを安く手に入れようとすると、
結果的に「高い買い物になる」って、
きっとこのことを言うのでしょうか。
ダグラス・有沢の法則とは関係ありません。)
 
さて、ここからが本題です。
 
井上成美(いのうえしげよし)なる人物をご存知でしょうか。
終戦後、英語教育でご活躍されたかつての「日本軍人」です。
 
本物の教育者とは、井上氏のように、
貧しい人からは「授業料」などを徴収せず、寄付も一切求めず、
ましてやご自身の名を残そうとはいたしません。
 
生活においては、「質素倹約」をむねとし、
いつも皆と同じ生活を心がけています。
 
しかし、今の日本の教育者と言えば、どうでしょう。
堂々と「有名予備校教師」と称して、テレビに出まくり、
エリートになればなるほど、「教育の本質」を忘れているかのような振る舞いです。
ましてや、自らが「経済的・組織的奴隷」かのごとく、
「学問の自由」たるを忘れている始末です。
ご発言はいつも「教育とはこうあるべきだ!」です。(この「独裁者」!)
 
あげくに「奴隷教師」が「奴隷のように勉強しなさい!働きなさい!」と、
児童・生徒を洗脳するかのように指導しているような気がしてなりません。
若者の「ワーキングプア」とか「長時間労働」、「引きこもり」、「いじめ」などは、
経済活動における競争社会の裏側に潜んでいる問題で、
教育的手段や地域社会による解決以外には、解決できない問題ですが、
「教師が奴隷」では、永遠に解決できない問題でしょう。
(もちろん「家庭における躾(しつけ)」も重要な要素ですが…。)
 
そのことに、国民の「皆」が気づかなければ、
いつまで経っても「欧米思想・欧米哲学」には及びません。
 
日本には、日本の優れた「伝統文化」「伝統的思想」があったはずですが、
果たして、それはどこへ行ってしまったのでしょう。
 
籠池氏は、それを教育しようと「野心」を持って「学校新設」を夢見ていましたが、
政治家や官僚の「保身」という「野心」に打ち勝てませんでした。
 
2017/3/23

014 日本語の難しさって…

教育 英語教育
外国人が日本語を勉強するときに「日本語は難しいです」とよく言われますが、
この日本人の自分ですら「日本語は大変難しい言語である」と、
日々勉強すればするほど、感じるようになりました。
 
まずもって、自分ですら理解することができない内容が沢山あります。
(「日本語教師」として大変お恥ずかしい…)
 
じゃ、これから「日本語教師」として働こうとする自分に、
日本語を「第二言語」として外国人学習者に教育する資質があるのか、
全くないのか、は、またの機会にお話しすることにして、
「日本語の難しさ」の一片について、ここでご紹介します。
 
ある、外国人が通うBarでの会話です。
 
若い外国人(アメリカ人男性)のお話しですが、
彼曰く、日本人が発話する「英語」や「日本語」について、
「本意」が全く理解できない、と言うのです。
 
まず、話しているときに日本人が連発しやすい
「yes, yes, yes…」(お前は小田和正か)
これは、「uh… uh…」のつぶやき(間投詞)のことでしょう。
使っている日本人の方が、勘違いをしているだけでしょうが、
アメリカ人が聞くと、「OK, OK, Yes!, You can say that again!」と発話していながら、
結論に達するときには、なぜか日本人は「Oh, No!」となるってことが頻繁にあるとか…。
(じゃ、今まで話をちゃんと聞いていたのか…彼らからすれば「意味不明」です。)
 
これでは、どこの国へ行っても、今の日本人は心から信用されない訳でして、
日本人のコミュニケーションの仕方自体が「理解」できない状態です。
「語彙の理解」ではなく、日本人の「コミュニケーションの仕方」に問題があったというお話しです。
 
教育の現場においては、細かなことをいちいち指摘していただくの方が大勢いますが、
PCの世界では「タイポ(typo)」など日常茶飯事ですから、
文脈から判断すれば、
「ああ、ただのタイピングミス(あるいは変換ミス)だな」と日本人のネイティブなら、だれでも理解可能ですが…。
※正確にはtypographic error 「誤植(ごしょく)」と言いますが。
 
で、外国人から見て、日本語といいましょうか、
日本人の一番分からない部分が、
「言っている内容や反応」と「顔の表情」がうまく読み取れないこと、だそうで…。
(「自分は日本の女性の「本心」と「建前」をよ〜く理解してますけど…」)
 
日本人の発話で「難しい」と思われるポイントとしては、
①相手の目を見て会話をしない。
(↑何を考えているのか外国人から見て分からない。)
②褒めても喜ばない。
(↑日本人は「謙遜(けんそん)」と言うが、海外にはそのような概念がない。)
③平気で嘘(歳など)をつく、が本人はそれがバレていないと勘違いをしている。
(↑外国人だって、その程度の嘘は分かるのにも関わらず、日本人は平気で嘘をついている。)
 
まっ、③については日本人の「美徳精神」の表れでしょうか。
(「いつまでも…いつまでも…若々しく美しくいたい…」って。)
 
つまるところ、
①「文法」がどうのこうの
②「語彙」がどうのこうの
③「漢字」が難しいのどうのこうの
そういったことは、「第二言語」を勉強する上で、どの言語を勉強する上で、
確実に存在することです。
 
今、外国人から問われている「日本語の難しさ」っていうのは、
「我々の日本人としての国民性」が、海外の人たちから問われている、
ということなのです。
 
分かりますか。「日本語教師」で現場で働いているみなさん。
(それが分からなかったら、「お前はもう、死んでいる!」by北斗の拳
 
話は、とーーーんで。
かつて「ニクソンショック」が起きた時のことを思い出して下さい。
なぜ、「ニクソン大統領」は日本国を裏切り「中国シフト」を画策したのか。
それは、日本人の「言っていること」と「やっていること」の違いを、
ニクソン大統領が「我々の国民性」をズバッと見抜いていたのです。
 
「約束が果たせないかも知れない…」
「裏切られるかも知れない…」
 
時の「権力者」というのは、大変孤独なもので、
今の日本人にも「孤独」という大きな難題が、
日本語が持っている独自の「美しさ」というものを滅ぼしてしまうのでしょうか。
 
ちなみに「美しい」日本語は、女性にしか使えません。
男性が「美しい」日本語を話すことはできません。
なぜ?って、そんな男性がもしいたら、
きっとその人は「芸(ゲイ)」ならぬ、ただの「ゲイ」でしょう。
 
2017/3/22

013 冴えない40代〜50代

教育
人生において他人のことを「勝ち組」だの「負け組」だのと
区別や批判はしたくないが…。
 
人間は、他者と相対的に物事を比較してしまう傾向にある。
本人が全く気にしなければ、この国に生まれただけで、
ある偉い人曰く「世界的にも9割幸せなんだから…」と言っていた…。
 
しかし、冴えない40代〜50代前半のバブル期全盛の女性たちは、
絶えず何かと、又は誰かと比較して、「自分が勝っている!」もしくは、
「劣っている」と比較しながら一生を終えるのだろうか…と残念な気持ちになる。
そういった家庭に育った子どものことを思うと、
将来のこの国に対して「ある種の恐怖感」を覚えてしまう。
 
バブル期の世代は「自分の現在時点の境遇の不幸」(実力がないこと)を持ち出しては、
自分より年上だろうが年下だろうが「他者」を批判する傾向にある。
20代の後半頃から、経済が右肩下がりだと勘違いしているが、
全体的に見れば、経済の規模が人口動態と比較すると大きすぎるだけであって、
日本のGDPは、ゆるやかながら成長を続けているのが実体経済だ。
 
たしかに今の65歳〜75歳までの「勝ち逃げ組」を見る限り、
(年金受給開始年齢が60歳からの世代=「勝ち逃げ組」)
生活ぶりは、私たちとは雲泥の差でして。(彼らは「海外旅行」ブームで…。)
 
それをいちいち、自分の現在の悪い経済環境と比較して、
それに対して不満をもったことろで、
自分の人生において何も始まらないし、何も変わらない。
それをバブル期の女性たちは何も知らないでいる。
(他者に文句をいちいち言う女性が一人いる、はてさて困ったものだ…)
 
どこへ行っても、40〜50代前半の女性たちは、
「経済の奴隷」のように見えてしまい、
日々の生活に追われた存在。
とにかく理屈ばかりで多弁だし、他人の意見はまずもって聞かない傾向にある。
 
逆に「勝ち逃げ世代」の方が「経済的ゆとり」のためか「精神的にもゆとり」があり、
「話し相手」としてはとても「温厚」な存在である。
聞いていて、「社会人時代の経験豊富な方々ばかり」なだけに、大変面白い。
 
今のボランティア団体に関しては、お誘いいただいたのは定年後の元公務員の方で、
ある「英会話教室」で知り合ったが、自分の無職であることについて大変理解があり、
2年かけて、ようやくその方との信頼関係を築くことができた。
 
やはりそのような優しい人に対しては、
自分なりにきちんと「真摯な姿勢」で振る舞わないと、
いくら無職で暇だからとはいえ、
「ボランティア活動」へのお誘い自体はなかったであろう。
 
ちなみに、
日本語教師」になるためには(今更ながら…)
日本国内では、
1、大学の日本語学の専門コースを卒業する
2、420時間の日本語教師養成講座に通う(ヒューマン・アークアカデミーetc)
3、日本語教育能力検定に合格する(10月半ばの日曜日実施)
の3つのうち、どれか。
 
でも、実際のところ日本語を教えるにあたって、
1〜3は、本当は全く必要ない。(あるボランティアの高齢者が話してくれた。)
 
テキストがあれば十分で、あとは、生徒さんと如何に信頼関係を構築するか、
生徒さんの需要をきちんと満たすか、である。
 
現在、不法滞在の外国籍の人が多く、
在留資格制度」が大変厳しくなった。
日本人配偶者にならない限り、
「日本語能力検定」の合格が必要な条件ともなるだろう。
日本語を教える教師の側にとっては「古典」や「歴史」などの専門分野を除いて、
「誰だって日本語を教えられる」と自分は考えている。
 
難しい漢字を覚える必要はない。自分だって書けないんだから。
まずは「ひらがな」が読めるかどうか、が重要である。
 
ちなみに、家庭教師をしていた時期に、
ある私立高校の入学前の宿題にこんなドリルがあった
 
【問題】「らあめん」をカタカナで書きなさい。(答えはもちろん「ラーメン」)
(日本人の中卒のレベルもこのくらい、学力が落ちたのが実情なのか…)
 
本題に戻って、バブル期だったゆえに「育児放棄」や「家庭内暴力」も、
全国的な問題になっているとか…。
「やること」だけやって、子どもや育児が面倒になってしまう世代なのか…。
バブル期世代。本当に恐ろしい。
自分の人生の目標だった「公立高校の教師」にならなくて、
今振り返るとその方が良かったのかも知れない…。
最近そう感じている。
 
2017/3/16

012 横浜市教育委員会の「いじめ問題」の対処について

教育 政治
2011年の原発事故を受けて、「一時非難」のため被災地福島県民の皆様の生活基盤が、
地元から首都圏をはじめ、他府県へと環境が代わり、大変なことであったと誰もが推察できる中、
本来、同じ日本国民として福島県の皆様に対しては、
「思いやりの精神」で誰もが「おもてなし」の心でお迎えをすべきところ、
移転先の横浜市立の学校を始め、
NHKのアンケート調査では54件ものいわゆる「原発いじめ」が発覚しました。
この国の国民性の「質の低下」がこれでお分かりいただけたかと存じます。
 
同じ日本人として、私はニュースを聞いて大変情けないと感じました。
本当に恥ずかしい限りです。
国際的にも批判されるような、大変重大な「人権侵害事件」について、
いじめた生徒やその保護者だけでなく、
教育現場を司る教師や学校長、
管轄指導するべき教育委員会はいったいどういう体質をしているだろうか…。
そんな憤りを感じているのは、何も福島県民だけではないでしょう。
 
「賠償金をもらっているだろ!」と、(本当に現実のいじめはリアルに悲惨だ…)
福島の子どもたちに恐喝行為する少年たちの悲惨な心の根源はどこにあるのか。
皆さんはなぜだとお感じになりますか。
 
それは、首都圏に住んでいるほとんどの家庭の「家計」にゆとりが全くないのです。
経済的ゆとりのない家庭の子どもが精神的にゆとりがあるわけがありません。
 
主に都会で暮らす子どもたちが、いかに「金銭主義的」な教育環境と遊び方しか知らないのか。
お分かり頂けますでしょうか。
「二人目の子どもが産みたくても産めない」。都会の家庭の現実…。
そんな都会での生活の厳しさを、よく耳にします。
でも、保育園不足だけが、何も問題ではありません。
都会の「地域社会」に、協調性やゆとりが全くないのです。
 
それにいじめをした彼らの保護者たちが「収入に見合った生活」をしておらず、
贅沢三昧。
都会には沢山の「ゲームセンター」などの遊興施設があり、
一部の都会の教育現場やその周辺の環境は、既に「崩壊状態」であること。
高校生の約9割が、スマートフォンを持っているくらいですから…。
 
それから、教育委員会をはじめ、
学校現場で「いじめ」があると担任教師が認めてしまうと、
現場にとって対応が非常に厄介になるので、教師達の余計な仕事が増える。
多勢に無勢。
(もしかして現場の教師マニュアルに「いじめはない」と言うことになっていたりして…)
いったい、こいつら(横浜市の教師たち)は何なんでしょうか。
現場の傍観者を含め、私から見たら横浜市教育委員会の存在価値は、
まるで「無し」です。
これは、長年に渡って構築された「悪しき慣習」なのです。
今に始まった訳ではない。
少なくとも「高度経済成長期」頃からそう言う状態なのです。
横浜市立の教員のOBたちにも、
そのような「悪しき文化」を継承した責任が十分にあります。
 
まずは、横浜市の教育長を始め、教育委員会の役職全ての職員の減俸、
全ての教育委員の罷免、林横浜市長の減俸、
それを財源に被害家族に賠償すべきです。
 
特に横浜市や神奈川県の教育については、
現場の実態だけでなく、教育委員会のお役人様の体質も私は十分承知しております。
 
私には守秘義務がありますので、詳しくは申し上げられません。残念です。
私が安易に事実と違うことをここで書いてしまうと、
組織から「守秘義務違反」だとか「名誉毀損」だとかで訴えられてしまいます。
ここで仮に事実を書いたとしても、
「元公務員」という肩書きが法的に「正義」の邪魔をいたします。
 
こんなことが、かつてありました。
私が「大学」に通っていた20年以上前の話です。(これなら時効だ…)
当時、夜間の大学に通学してましたので、帰宅の電車はいつも夜の10時頃。
車内で、県立高校の教師達が、驚くような会話をしていました。
 
「○○高校でしょ?、あいつらバカじゃん!みんな本当にバカだよ!あははは!」
(by大声)
これが、教師達の本音です。
(おそらく「飲み会」の帰りだったのでしょうか…)
 
ある、横浜市立中学の元進路指導担当教諭も、
ある「有名芸能人」が卒業した県立高校を名指しして、
「あんな女優おバカよ!○○高校卒よ!」と平然と私の前でおっしゃるのですから…。
いくら「オフレコ」とは言え、「教育者」としていかがなものでしょうか。
それが、横浜市の教育現場の教師たちの体質そのものなのです。
「学歴偏重主義」「偏差値・内申書主義」がもたらす悲惨な教育現場、
とでも申し上げておきます。
 
これが、都会の公立学校の教師の体質なのです。
だから、我々国民も、そのような「志の低い」と申しましょうか、
「志のない教育者たち」に何もかも期待することはないのです。
あきらめた方がむしろ早い。
 
彼らは「内申書」を生徒たちに、ただ振りかざしているだけなのです。
 
「教科書問題」についても、
出版社が教科書の内容を書き換えようものなら、
現場教師たちが、その内容について新たに勉強しなければならないのですから、
「それが面倒くさい」という理由だけで、
30年前と同じ内容がいまだに存在するのです。
 
政治的な自由なディベートは、公立学校は教師も生徒も一切タブーの世界。
世界的に見ても、民主主義の国ではあり得ません。
 
憲法9条を守れ!」「日の丸反対!」とか、一部ですがまだつぶやいています。
「学問の自由」は、はてさて何処へやら…。
「給与を上げろ!」と彼らは叫びますが、
「いじめ反対!」や「子どもの人権を重視しろ!」と、
人事院勧告(11月頃)の時期に、
市庁舎や県庁前で叫んでいた教師達を見たことがない。
これが実態なのです。
 
ですから、今後の横浜市教育委員会の対処の仕方については、
何をどうこうしても、組織の体質はもう変わりませんから。
被害者家族、被害生徒の名誉回復に、是非皆さんご理解をしてください。
 
実は、私の家系のルーツも「福島県」にあることを、最近になって知りました。
当然、福島生まれではありませんし、福島育ちでもありません。
でも、それを誰かに話したら、私も「放射能で汚染された汚い人間」なのですか。
そういう事を述べる人間がもしいたとしたら、
その人間の心がある種の何か悪い物質に汚染されているに違いないはずです。
「まちがった教育者の悪しき価値観」という汚染物質に。
 
私からは、被災した福島県民の皆様のことは何も申し上げることができません。
国や電力会社の事故対応等についても、
個人的意見はここでは控えさせていただきます。
一日も早く、福島第一原発事故の処理が進むこと、
そして、この事故が教訓として我々が何を学ぶべきか、
今後も、考えていきたいと思います。
 
2017/3/9

011 これが日本の「エリート」の実態なのか。

教育
日曜日に高校時代の同級生と担任教師が集まり、4年ぶりの食事会がありました。
 
私が卒業した高校は、地元の公立高校でしたが、約30年ほど前までは、
いわゆる「進学校」としても大変伝統ある高校でした。(今は知るか!)
(元内閣総理大臣・ノービル賞受賞者・金メダリストを輩出しているくらい…)
しかも、当時の中学校の成績評価は「相対評価」でしたから、
内申書の成績を9教科全てで「5」または「4」を取らなければ、
入学することが非常に困難でした。
現在の偏差値は「63」です。当時は「68」くらいでしょうか。
(そんなもの興味もねぇ!)
 
食事会では、クラスメートのみんなが私のことを心配してくれましたが、
私のプライベートは内心「大きなお世話」って感じでしで…。
(心配してくれるのは、ありがたいですが…病気の治療のことはドクターが決めることですし、自分の運命は自分で決めることでしょ!。)
 
私の「精神疾患」のこととか、「40歳無職での就活の方法」であるとか、
いくつかご助言をクラスメートからいただきましたが、
私からすれば、その全てが「世間の一般論」としてしか聞くことができませんでした。
「そんなの日経プラス10でも見てれば分かるって!」というお話しばかりです。
 
彼らは「働かなくても生きていける方法論」を知らないから…まあ仕方がありません。
 
女性陣のほとんどは、「パートタイムワーカー」でした。
まるで「ワーキングプア」状態。(企業の奴隷かよ?)
子どもの教育費のためとは言え、大変労働条件は厳しいようです。
 
子どもを産んでしまうと、基本民間は「即退社」です。
約1名、現役で職場復帰してましたけど、かなり環境は厳しいご様子。
エリート校卒の高い能力がある女性であっても、
未だに男性中心の社会ですから仕方がありません。
女性の政治家の一人や二人、クラスから出ると当時は思いましたが、
非常に残念なお話しです。
かつての女性のエリートたちがこれでは、
日本の世の中が変わるわけがありません。
 
ある女性は「公務員のあまったるい世界と民間はちがう」と、
私に対してぼやいていましたが、
それはもう20年以上前のお話でして、
そういう時代ではもうなくなっていることも知らないご様子。
 
それから、ステータスシンボルばかり追いかけていますが…。
ご子息の教育費以外にも、いろいろなものにかなりお金がかかるご様子。
まあ、若いウチしかできないこともありましょうから、
私が意見を言う立場にはありません。
逆に、私が美容室で多額の支払いをしていることを、
ある女性から「それは、だまされている!」と非難されましたが、
そんなこと言われる筋合いは全くございません。
各々が選んだ人生なのだから、いちいちどうしようもないことだ!。
 
私が住んでいる小さな町の田舎暮らしなら、
絶対に生活にかかる費用は、彼らの半分以下で済むはずなんですけど…。
 
それから「自分たちの子どもの教育にはこれから一体いくらかかるのか?」とか、
「私立高校や中学校の学力レベルは?」etc云々の話はともかくとして…。
 
日本の私学にしろ公立にしろ、
「学習指導要領」が約30年前(中曽根首相時代)と変わっていないことすら知らず、
子どもたちのやる気度「ゼロ」についても、「なぜそうなのか」を考えて話すことができない同級生。
 
それは、今の40代のエリートの親たちが、子どもたちから見て、
親自身が幸せそうに暮らしているように感じていないのを
40代の「エリート」すら知らないでいる。
子どものために、毎日あくせく親たちが働くと、
その子どもにとっては、非常にプレッシャーになるのです。
その原因は、彼らに「一貫した教育観」そのものが欠落しているからなのです。
 
ある男子は「せめて試験前くらい勉強しろ!、と自分の子どもには言いたいが、
それを言ってはいけないことも理解しているんだけど…」(お前は寅さん一家か?)
とぼやいていましたが、何を勉強し、何のために勉強しなければならないのか、
各々の人生哲学が全く感じられませんでした。
果たして、何のために、日曜日わざわざ集まったのか…。
65歳過ぎたお年寄りの「寄り合い」じゃあるまいし…。
本当に本当に残念でした。
何のために「エリート」だった彼らは、学生時代から勉強をしてきたのでしょうか。
「就職やお金のためだけ」なのでしょうか。
 
私が考えるに、
エリートだろうとお金持ちだろうと「人生哲学のない親」の子どもたちが、
真剣に勉強なんて果たしてするものなのでしょうか。(しないしない!)
 
幸いにも、子どもたちが通っている学校の人間関係(ステータスの共有維持)を
高く評価するしか、基準がないご様子です。
(KO幼稚舎がどうのこうの云々…)。
自分からしたら、それは「雲の上」の話ですが、
「人は地に足がついていなければ生きていけないのよ!」。(byシータ)
 
自分以外が、既に地元には住んでおらず、首都圏を中心に都会に住んでいます。
「本当にこの人達はかつて地元のエリートだったのか?」と思ってしまうような、
「ごくごく普通の家庭のサラリーマン風体」になってしまって、
「ああ、形にはまった人生しか送れなかったのか」と、
本当に残念でした。まあ、普通に幸せなんでしょうから、
他の家庭の幸せを壊す権利は、私にはございませんし、否定も肯定ももうしません。
 
でも、彼らの話を聞いていて、今日は自分にとって収穫が「ほぼゼロ」でしたから。
「とにかくリストラされないように、頑張ってね!」って心の中でつぶやくくらい…。
 
「これから体力も減退するだろうし、働く質や量も増えていくのにどうしたらいいのかしら」という声も…。
中高年女性の切実な悩みです。
在学中は、偉そうなことばかり言ってましたが…。(やっと現実を知ったのかって…)
 
もし、自分もあのまま某県庁の公務員をしていたとしたら、
「教育費やローンの心配」ばかりしていたのだろうか?…。(やれやれ…)
 
もしそうであったとしても、
私はきっと仕事以外は大好きなバスケットボールに夢中で、
何歳になろうと、仲間と楽しいバスケットボール人生を謳歌していたでしょう。
 
解決策としては、
親が真剣に何かをする姿を、
子どもたちにただ見せてあげられさえすれば良いわけでして、
わざわざ家庭サービスで海外旅行をしたりとか、
美味しい料理をレストランへ行って食べたりとかしないで、
まずは、母親が「手作り料理」を腹一杯食べさせて、愛情を沢山注いであげて、
子どもがすることをじっと見守ってあげられないものだろうか、と。
かつてのわが家のように…。
 
今、自分が親として、子どもたちには、法律的立場上何もしてあげられなくても、
子どもの教育に一切を関わっていなくても、遠くからちゃんと見守ることができます。
Facebookアメブロで子どもたちの様子が見られます。)
 
自分の遺伝子を引き継いだ息子たちが、
あんなに小さい体で熱心に野球をやっている。
しかも週末の土日は、ほぼ野球三昧。
幸せじゃないですか!。健康第一!。
私は、そう思ってます。
元気でたくましく育っている。
楽しそうに野球をしている。
そしてたくさんの仲間がいる。
私よりも幸せじゃないかな!、と思います。
「素晴らしい息子だちだ。本当に誇らしい!」。
 
「自分の息子が、なんと小学生の野球チームのキャプテンになったんだよ!」。
野球部出身の兄ですら小学生時代にできなかったことです。
あの小さくておとなしい自分の子どもが、です。
 
でも、そんな話はもったいなさ過ぎて、私は決して同級生たちの前では言いません。
本当に自分の子どもを誇らしく思いましたから。
学校の勉強以上に野球チームのキャプテンを務めた方がはるかに勉強になる。
しかもその野球をすること自体は、ほとんどお金はかかりません。
(アマチュアのスポーツ指導者のほとんどは、この国では報酬を得ていないのです。)
 
何で、もっと自分の子どもたちのことを親として褒めてあげられないのだろうか。
何で、自分たちの時代を基準にして、物事を考えてしまうのだろうか。
「勉強しろ」「勉強しろ」と。
自分の同級生とは言え、「子どもの学校の成績が良くない」とか、
親が子どもの悪口を言ってしまえば、
その子どもの人格までも下げてしまう結果になりはしないだろうか…。
(そりゃ、ただ親の躾(しつけ)が悪いだけじゃん!)
 
これは、日本人特有の「謙遜文化」ではなく、
もはや「病理」としか言いようがありません。
 
もう時代はとっくに変わっていて、
いわゆる「テスト勉強などくそくらえ!」と、
今の子どもたちは皆、そう思っている現状を、
世間はどうして理解してあげないのだろうか。
 
学校の教師に勉強を任せてしまえば、
それでいいと親たちは考えているみたいですが、
本当に、今日は驚愕(きょうがく)しました。
この国の若者には、もはや「未来」はないのかも知れません。
 
何かを真剣にやれば、エリートの彼らの子どもたちの方が、
私の子どもたちよりも絶対に能力は高いはずですが…。
ましてや、幸せをつかめるチャンスは大いにあるはず。
でも、その「やり方」を知らない。
「時代の泳ぎ方」を知らない。教えてあげられない。(親が忙しいから。)
ただ単に「教育」という名のサービスに高い対価を支払っているに過ぎません。
じゃあ、「親」としてどうするのか。
 
少なくとも、自分自身が楽しそうに生活をしていて、
自分の大きな夢(ロマン)を語ってあげて、
子どもに夢を沢山持たせてあげれば、それだけでいいのです。
 
私の父は、多額の借金と引き替えに沢山の夢を実現しました。
(かつては、漁師でした。)
本人は未だに「家族には迷惑をかけた」と言いますが、
でも父自身は、大変それを誇りに感じていますし、
本人も全く後悔はしていません。
母もそれを理解し、我々家族を一生懸命支えてきました。
思い出を大切にし、当時の仲間も今でも大切にする。
家族以上に…。私は本当に感謝しています。
 
私たち兄弟はそれなりに、「一生懸命生きる事の素晴らしさ」を両親から学び、
また、遊ぶときも真剣に考え工夫する知恵も、たくさん学びました。
(このブログをキーボードで叩いているだけで、「涙」が止まらないくらいです。)
 
「エリート」家族であっても、そうでなくても、今の教育に足りないもの。
皆さんでもう一度考え直してみて下さい。
 
ちなみに、私の小学校時代の「尊敬する人=当時のバスケコーチの先生」でした。
「将来の夢=子どもたちにバスケットボールを教える」でしたが、
夢はとっくに実現させてしまいましたので、
今は「新しい夢」の実現に向けて、毎日努力しています。
この国では完全に治癒しない「重度の精神疾患」と付き合いながら…。

010 「格差歓迎!」の資本主義

教育
都道府県には、「不適格校」と言われる、レッテルを貼られた最低レベルの公立高校があるという。
 
私の住んでいる近所にも「不適格校」が2つあり、最近では2ちゃんをはじめ、
その学校に勤務している教師たちが、せきららに学校の実態を暴露してしまうほど、
教育現場の環境は、とても厳しいようだ。
 
「不適格校」の卒業後は、教師達が彼らの学力や適性に関係なく、
適当な専門学校へのあっせんや、「Fランク」と呼ばれている大学への推薦入学、
あとは、肉体的な単純作業中心の民間企業への就職を勧めるだけ。
 
学内では、3年間のほとんどを「基礎的な勉強」の繰り返しをするだけで、
学力的には、中1くらいまでの学習内容をクリアしていれば「御の字」だろう。
 
彼らのほとんどは、「スマホの使い方」においては偏差値が70を超える。
携帯電話の使用料金が、「毎月数万円」という高校生もたくさんいるからだ。
 
「資本主義」は、資本家がIQの低い大量の労働者から全ての財産を簡単に搾取するシステムだ。
最悪なのは、その労働者の「思考」まで奪ってしまうこと。
 
「不適格校」に通う彼らのIQがちょっとでも高いと、
都合が悪いと思われる業界が沢山存在するのは事実である。(法令違反がバレるから…)
(それについては、民間企業への「営業妨害」になるので、具体的な言及は避ける。)
 
問題なのは、「学力向上」を目指すとか、「就職あっせん」とかが教育の目的ではなく、
若者の将来への希望や夢を奪い、「今が楽しければ良い」という短絡的な思考の蔓延が
結果的に資本家の思惑と一致していること、
これを教育上考えさせる機会を全ての生徒に与えていない面にある。
 
現代日本の少子化は、簡単に子どもたちを「勝者」と「敗者」に振り分けている。
教育的観点から言えば、全ての面において「お金持ち=勝者」とは言い難いが、
学力が高いだけじゃ生きていけないし、お金持ちだからといって、
きちんとした教育を受けていなければ、その子どもの潜在的能力は育たない。
 
資本家たちは、「格差」を逆手に取って、IQや親の所得などに合わせたステージを彼らに用意して、
お金持ちには、「時間外労働」的な教育サービスに家計から多額の投資をさせているし、
IQの低い勉学に興味のない若者には、スマホやゲーム・ファッションなどを中心に、
欲しい物を若いときから大量に消費させることを覚えさせている。
 
どちらにしても、この国の国民性なのだろうか。
どの方向を向いたとしても、「何かを学習すること」が大変好きなのだろう。
「学習すること」=「安心」だからだ。
(何かをしていないと、日本人は心理的に不安になるのだろうか。)
 
私も勉強は好きなほうだ。
だが、「受験勉強」ほど世の中に役に立たない勉強はないと、今でも思っている。
それに、学歴が高いからといって、その人の人間性が高いとは限らない。
 
この国のエリートほど、以外にも「汚い言葉」を使う傾向にあるのを実際に体験したし、
IQが低い若い人間たちが、安易に「バカ・死ね」というのは、
単に学んできた語彙が少ないだけで、「人情」はエリートよりある。
 
「生存競争」から「格差社会」へと資本家たちの希望が叶った。
次の世界は、「人口淘汰の社会」へと変貌をとげるだろう。
どの国の政府も、全ての国民の生命と福祉や教育を約束できなくなる。
そうなると、我々は将来をきちんと見据えた上で、
「方向性」よりも「柔軟性」を持ち、
よりクリエイティブな考え方を「格差社会」から学ぶべきだ。
 
2017/2/27